明堂について―ツボの原典と呼ぶべきものとその復元
目次
はじめに
僕が研修でお世話になった愛媛県立中央病院漢方内科鍼灸治療室(旧愛媛東洋医学研究所、略して愛媛東医研)は、臨床に関しては3つのことに力を入れていました。お灸、刺絡、時系列分析法(患者理解)です。研究に関しては古典研究があり、古代4刺法、『明堂』の復元がありました。僕が研修を受けていた頃は、臨床に関することが主で、研究に関しては余裕があればするような雰囲気でした(当然だと思う、とにもかくにも目の前の患者さんをどうにかよくしないといけないのだから)。
治療においてツボを使っている以上、そもそも古代の人がツボをどのように考えていたかは知りたかったことと、鍼灸と漢方を統合することはできないかという問題意識がありました。漢方薬、湯液がこれならツボはこれを使い、逆にツボはこれを使っているから、漢方薬はこれを使うといったように、漢方と選穴とが一対一で対応するような形に統合することはできないだろうか、と漠然と考えていました。こうした考え方は既にあり、単玉堂の『傷寒論鍼灸配穴』や承淡安の『傷寒論新注(附針灸治療法)』、小倉重成の『傷寒論による漢方と鍼灸の統合診療』などありましたが、選穴が主観的というか個人の経験によるところが大きいというか、もう少し客観的にならないものかと思っていました。穴性に対しても同じように、これも歴史としては浅い概念でもあり、いま一つ納得がいかないなと思っていました。
そこに『明堂』というツボに関する古典、ツボの位置や刺激量、主治症がまとめられたものの復元のことを知り、もしこれをうまいこと調理できたら、古代初期のツボの考え方を知ることができ、また鍼灸と漢方の統合ができるかもしれないと思い、『明堂』を自分なりに復元しなおしたり、解釈したりしてきました(ただの趣味です。学者としての訓練・教育・指導等は受けてはいませんので、多々誤りはあるかと思いますが、どうぞお付き合いください。誤り等ご指摘いただければ幸いです)。
今回は、『明堂』復元の試みを中心に述べていきたいと思います(誰が興味あるんだろう?)。
『明堂』の内容を今に伝えている文献
『明堂』は後漢頃に成立したとされるツボの書籍です。『明堂』の成立以前にもツボに関することは『素問』『霊枢』にも見られますが、ひとつの体系としてまとめられたものが『明堂』です。ツボの位置、刺激量、主治症を言葉で表現しています。図もあったかもしれませんが、残念ながらそれは伝わっておりません。
『明堂』そのものは、残念ながら失われていますが、その内容が諸本に引用されて今に伝わっています。主なものを以下に記します。
- 『鍼灸甲乙経』(以下『甲乙』)
- 敦煌本『明堂』(以下敦煌本)
- 『備急千金要方』(以下『千金』)
- 『外台秘要方』(以下『外台』)
- 『黄帝内経明堂類成』(以下『類成』)
- 『医心方』(以下『医心』)
このように『明堂』の内容が引用された文献がありますが、その引用の仕方が異なります。以下でその主な違いを述べたいと思います。
形式の違い
『甲乙』は、部位条文(巻之三)と主治条文(巻之七~十二)が別々になっています。唐代の『千金』『千金翼方』も別々で書かれています。
これに対して、他の文献は別々に書かれておらず、ひとつの条文として書かれています。
また『甲乙』の主治条文は「病症+穴名+主之」の形式で記されています。病名、症状に適したツボを集めた形になっており、より臨床に使いやすいようになっています。これは『傷寒論』や『金匱要略』などの医書による影響と考えられます。これらの医書は「病症+薬名+主之」の形式で記されています。
これに対して、他の文献は「穴名+主+病症」の形式で記されています。ツボを主体として種々の病名、症状をひとつにまとめています。これは『神農本草経』の「生薬名+主+病症」を転用したものと考えられます。
ただし『千金』もこの形で書かれていると言えばそうなのですが、主治条文が切れ切れにされ、似たような病名、症状に効くとされる穴をいくつもまとめてしまっています。例えば「崑崙 曲泉 飛揚 前谷 少澤 通里 主頭眩痛」のように、ツボを主体としてまとめているとは言えず、どちらかというと症状を主体としてツボを並べています。『千金』は、主治症の記述が『明堂』のどのツボから引用したのかわからない場合が多く、また文を適当に書き換えてしまっているところも多いので、扱う場合には注意が必要です。
『甲乙』は部位条文と主治条文とに分かれており、主治条文が「病症+穴名+主之」で書かれています。敦煌本、『外台』『類成』『医心』は部位と主治がひとつながりの条文で、「穴名+主+病症」の形式で書かれています。はたして原『明堂』はどちらの形式だったのか。
配列の違い
またツボの配列も文献によって違っています。
『甲乙』『千金』は頭部・体幹部は部位別、四肢は経脈別に、『類成』『外台』は経脈別に、『医心』は部位別に記しています。
『甲乙』と『千金』でも篇だて、ツボの所属のさせ方は異なっています。例えば『甲乙』は前額・後頭の髪際穴を各一列に篇だてしていますが、『千金』は前後の髪際穴を顔面と後頭のツボ列に記しています。同じように『甲乙』は耳前後と頚部のツボを別々に篇だてしていますが、『千金』は両者を連続して記しています。同じく『甲乙』は肩部のツボで篇だてしていますが、『千金』は肩部のツボを手の各経脈に所属させています。また『甲乙』は手足の篇名を「手太陰及臂」「足太陰及股」のようにしているのに対し、『千金』は「手太陰肺経・足太陰脾経」と臓腑を付記しています。
『類成』『外台』においてもツボをどの経脈に所属させるかが異なっています。『類成』は全13巻のうち巻1の肺経のみ現存しています。巻1から巻12までは六蔵六府の十二経脈、巻13が奇経八脈とし、全ツボを各経脈に所属させただろうと考えられています。他方『外台』も同様に全ツボを各経脈に所属させたが、肺人、大腸人、肝人、胆人・・・膀胱人、三焦人と十二経脈で、奇経の篇はありません。全ツボを十二経脈のいずれかに所属させています。例えば督脈のツボなら膀胱人に、腹部の任脈のツボは腎人に所属させています。
『医心』は、『類成』から抜粋して書かれたものと認識されていますが、そのツボの配列の仕方は全く異なっており、経脈は無視して、部位別にツボを上から下に並べて記しています。手足のツボも上から下に配列して、丹波康頼(『医心』の編者)は見事に臓腑・経脈を排除しています。それではあまりにもやりすぎだろうと思ったのか、後人が臓腑・経脈を追記しています。
『明堂』の復元の試み
『明堂』を復元しようと思ったら、その内容を伝えている文献をもとにしなければなりませんが、以上のように各文献によって、『明堂』の引用の仕方が異なっています。ですので復元も当然どの文献を主体にするかで自ずと異なってきます。
復元はいくつかありますが、ここでは三つの復元の試みを紹介します。
黄龍祥復元本
黄龍祥の復元本『黄帝明堂経輯校』(中国医薬科技出版社, 1987)は、『甲乙』に基づいて復元がされています。ツボは『甲乙』巻之三の順序に配列していますが、『甲乙』のように部位と主治条文を分けることはせず、連続させ、各ツボごとに部位・刺激量・主治症をまとめて記載しています。主治条文に句点がありますが、これは『甲乙』に見られる主治条文に基づいています。つまり『甲乙』の諸篇に散らばっている条文は、内容的にひとつのまとまりと認識し、そのまとまりがいくつか集められている形式になっています。そのまとまりの順序は『甲乙』巻之七から巻之十二に記されている順になっています。実際のものを見ないとわかりにくいと思うので、また次回以降説明します。
愛媛東医研の復元
愛媛東医研の復元は『医心』を骨子としています。復元方法として以下の四つの原則を考案しています。
- 『医心』を骨子として復元する。『医心』の字順は遵守する。
- 『甲乙』と『外台』の一致する文字を復元に採用する。ただし、『医心』の文字はすべて取りあげる。
- 『医心』の一部を含む『甲乙』の単位条文は、たとえ『外台』『医心』と一致しない文字であってもすべて取りあげる。
- 文字は『医心』の文字を原則的に採用し、『甲乙』と『外台』の一致しない場合には『外台』を採用する。
この復元は正確には『類成』の復元を試みたものです。ツボの配列は今の経穴の教科書の順序になっています(今の人がわかりやすいように、とのこと)。『医心』が『類成』から抜粋して書かれたものなのだから、『医心』の字順に従いましょうというものです。第3条にある「単位条文」とは、「臨床的意味をもつ病態についての条文」で、先程の黄龍祥の内容的にひとつのまとまりと認識すると同じことです。ただし、『甲乙』の主治条文の区切り方でいいとは考えていません。場合によっては、『甲乙』の条文をさらに区切ったり、あるいは条文と条文をつなげたりする必要もあるのではないか、と考えています。愛媛東医研の復元はこのような原則を設けることで、誰でも復元ができるようにしました。ただしある程度はできるといった感じで、当然、原則通りにはいかないケースもあり、単位条文をどうするかという問題は解決できていません。僕が研修を受けていた頃は一応復元はできていたのですが、ただの漢字の羅列で、誰にでも利用できる形で公表されていませんでした。いままた復元作業をしているようですが、僕はほとんど関与していなかったので、詳細は知りません。
日本内経医学会復元本
日本内経医学会編『黄帝内経明堂』(北里研究所東医研医史学研究部, 1999年)は、その復元凡例には、
“『外台秘要方』を骨子とし、『甲乙経』『医心方』と合致した文字を『明堂』の経文とみなした。『医心方』は『明堂』の要略とも考えられるゆえ、ほぼ全文を採った。文字の異動や主治症の違いは、他の復元書なども参考にして最も適切と思われるものを採った ”
とあります。日本内経医学会復元本も『類成』の復元を試みたと思われますが、『類成』は巻1の肺経部分しか現存しておらず、残りの経脈の順序、経脈内のツボの順序などの詳細がわかりません。したがって『類成』と時代が近く、同じように経脈別にツボを記している『外台』を骨子としたと思われます。ですが中身をみると、どのあたりが『外台』を骨子としたのか、僕にはわかりません。経脈の順序は『外台』ではなく、肺、大腸、胃・・・肝、奇経八脈の順になっており、『霊枢』経脈篇の順序です。経脈中のツボの順序も『外台』によらず、『十四経発揮』や今の経穴の教科書の順序になっています。主治条文に『外台』にしかないものを含んでいるかといったら、そんなことはなく、『外台』にしかないものは採用されていません。主治条文の句点も、単語で区切っているだけで、単位条文のような、ひとつのまとまりといった認識も見られません。
以上、主な復元を三つとりあげましたが、僕の考えは、『甲乙』を主体にして、『医心』の字順に条文を並べるのがいいのではないか、というものです。
ツボの配列は『甲乙』に従うのがいいと考えます。頭部・体幹部と四肢では主治症の内容に違いがあります。
ただ黄龍祥復元本のように主治条文の記載順序を『甲乙』にならうのではなく、『医心』の順序に変えるべきではないかと考えます。原『明堂』はツボを主体にして単位条文を並べていたと考えます。『甲乙』はその単位条文を病態ごとに各篇に分けたと思われますが、その各篇の順序と原『明堂』の各単位条文の記載順序が一致しているとは思えません。順序は当然変わってくると思います。敦煌本と『医心』の記載順序が近似しており、敦煌本が原『明堂』の原型をとどめていると仮定するならば、『医心』の記載順序に従うべきだと考えます。
また単位条文に関する問題があります。『甲乙』の主治条文の区切り方でいいとは考えていません。ただし条文をどこで区切るのかは、病態をどう考えるかということになるのですが、いろいろな解釈が可能で、恣意的になる恐れがあり、難しいです。
おわりに
ツボを使って治療をしている以上、やはりツボの主治症に関してある程度は知っている必要があると思います。しかしながら、今の教科書には主治症は書かれていません。何故なのかは理由は想像できます。流派とか人によって主治症が違うから、教科書に載せてしまうと、いろいろ差し障りがあるのでしょう。『明堂』はツボの原典と言っていいと思うので、その復元は重要な仕事であり、その主治症は参考にしてもいいのではないかと思います。
今後は各ツボの主治症の復元を書いていくとともに、僕が思う『明堂』の全体像を紹介できたらなと思います(ツボについて②に少し書いています)。
参考文献
真柳誠「『明堂』」, 同『黄帝医籍研究』汲古書院, pp427-597, 2014
篠原孝市「臨床に活かす古典」No.91-94, 『医道の日本』2019年12月号, 2020年3月号, 4月号, 5月号
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