ツボについて① 診断および治療する上で重要なもの

ツボとは何か。

これまで鍼灸がどういったものなのかを導入的に述べ、次に何をするのか、施術方法について述べてきました。
「どんな時に鍼灸をするのか。鍼灸の作用と適応について」
「鍼にはどんなものがあるか、どんなやり方があるか」
「ご自宅でもできるお灸のすすめ」
「刺絡(しらく)について。世界中で昔から行われていた治療法」

今回はそれらの施術をどこにするのか、ツボについて述べます。

ツボは、診断および治療する上で重要なものであり、これがないと鍼灸治療が成り立たないほど、生体にとって重要なところです。

なのですが・・・

すみません、
ツボの実体について、ちゃんとしたことはわかっておりません。

はい、これでおしまい、というわけにはいかないので、
ツボに関してどのように考えられているか、僕自身がどう考えているかについては言えるので、それをこれから書いていこうと思います。

目次

ツボ・孔穴・経穴・経外奇穴・阿是穴

ツボは、「経穴」「経外奇穴」「阿是穴」などの総称で、「ツボ」は通俗的表現です。なぜ「ツボ」というようになったかはわかりません(少なくとも僕は知らないです。「穴」のイメージから「壺」「坪」になった?あるいは図星・図法師(ズボシ)から変化した?)。「経穴」とは経絡上にあるツボのこと、「経外奇穴」は経絡上にないツボのことです。「阿是穴」は押して痛いところ、押してあぁそこそこと思うツボのことで、経絡にこだわりません。「経外奇穴」に含めてもいいかもしれません。(経絡が何なのか、という問題もありますが、ここでは触れません。ここではとりあえず気血(生体にとって必要なもの。これも気血って何よ、という問題があるな~)の通り道ぐらいに思ってもらって問題ないです。)

2000年程前に書かれた鍼灸医学のバイブル的存在の『素問』『霊枢』では「気穴」「穴」「腧」「輸」「兪」などと書かれ、その後の『鍼灸甲乙経』や『備急千金要方』などでは「孔穴」と書かれています。『素問』『霊枢』と並んでツボについて書かれた『明堂』というものが存在しましたが、残念ながら現代に残っておりません。ですが、その内容が『鍼灸甲乙経』・『備急千金要方』・『明堂類成』(これも一部しか現存していない)・『外台秘要方』・『医心方』に伝わっています。

細かい話になってしまいますが、ツボを経脈別に分けたのは唐の時代に書かれた『明堂類成』と『外台秘要方』からであり、その発想から後に「経穴」「経外奇穴」という分け方ができたと思われます。『鍼灸甲乙経』と『備急千金要方』は四肢のツボは経脈別、頭・体幹のツボは部位別に記しています。平安時代に丹波康頼によって編纂された、日本で最初に体系的にまとめられた医書である『医心方』は、経脈は無視して部位別にツボを記しています。

ツボの数

いわゆる経穴は361個あるとされています。確かに『素問』『霊枢』にツボは365穴あるように読めるところがあります。ですが、それはただの1年の数だけ多くあるという比喩表現なり、術数的発想に基づいた表現だと思います。『鍼灸甲乙経』ではツボの数は349穴です。これは2×2×5×5×3+7×7と分解できます。2は陰陽、5は五行、7は陰陽と五行を並列した七政(七曜)、3は三才思想から来ていると考えられます1)。ですので、思想、文化を考えるときには、数を気にしたらいいと思いますが、臨床上では重視しなくてもいいかなと思います。

足ツボや耳ツボ、あとは高麗手指鍼と言って手に無茶苦茶鍼するのがありますが、これらはそれぞれ足、耳、手に身体全体を投影したものです。
これらは古代中国には見られません。ですが、ある一定の部分に臓腑を配当するという発想は古代中国にも見られます。例えば顔やお腹、橈骨動脈、前腕前面などに臓腑を配当したものがあります。ただ診断には用いていますが、治療部位としては用いてはいないように思われます。

臨床上、ツボとは何か

ツボとは、さまざまな刺激に反応した結果、体表に現れる変化

私たちは日常生活の中でさまざまな刺激にさらされています。

細菌、ウイルスなどの生体にとっての異物、
痛み、怪我、仕事による荷重、過労、緊張、
不快な光、音、においなど五官を刺激するもの、
人間関係の不和、執着、葛藤、焦り、不安、恐怖、怒りなどの感情などなど。

このような体外、体内から刺激に対して、生体は異物を排除したり、体内環境を維持しようとしたりします。前者の場合、一時的に発熱するなどして、異物を排除、その後は体温を通常に戻し、やはり体内環境を一定の幅に維持しようとします。いわゆる恒常性維持(ホメオスタシス)と呼ばれるものです。

身体全体としては神経系、免疫系、内分泌系が複雑に働いて、生体と環境、あるいは生体を構成する各部分の間の均衡を保とうします。体内、体外からの刺激によってこの均衡が一度崩れ、回復する過程で発熱や倦怠感、痛みなどの症状が出ます。この均衡が崩れて回復する過程が病気、疾病と呼ばれ(ある意味それが治癒・健康なのではと僕は思っていますが)、この均衡を維持する力が全く働かなくなった状態が死と言えます。

さまざまな刺激に対して、神経系、免疫系、内分泌系が相互に働き、恒常性を維持している。自然治癒力が働いているとも言える。

こうした異物を排除し、恒常性を維持、均衡を保とうとして神経系、免疫系、内分泌系が複雑に働きますが、それが何らかの理由でうまく働かないことがあります。たいていは体外、体内からの刺激が許容量を超えた場合です。そのとき問題が生じているところと神経、血管、筋骨格などを介して関連したところの表面に変化が現れます。それがツボです。

例えば暴飲暴食により胃に過負荷が生じた場合、神経を通して、胃とつながりのある皮膚や筋肉(腹部や背部)に変化が現れると考えられています(内臓体性反射)。
肩こりの場合、筋骨格だけで考えても、肩は首、上肢、腰とつながっており、場合によっては腰は下肢とつながっているので、結局ほぼ全身の皮膚や筋肉に変化が現れると考えられます。

また過去の病気や怪我などが身体に記憶として残っていることがあります。
例えば今は症状としてはないけれども、小さい頃は喘息があったとか、胃腸が弱かったとかといった場合に、呼吸器や消化器と関連したところにツボの反応があることがしばしばです。
いわゆる古傷というものです。おそらく呼吸器や消化器にも何らかの傷が残っているのでしょうが、その状態で均衡を保つようになっていると思われます。心身の余裕がなくなると、古傷がうずくように、再び症状が出て、ツボの反応も強くなります。

このようにさまざまな刺激に反応して、身体が頑張っている結果、身体の表面、皮膚、筋肉に現れる変化がツボです。

ツボで診断し、ツボで治療する

問題が生じているところと神経、血管、筋骨格などを介して関連したところにツボが現れると言いましたが、逆に言えば、ここにツボの反応が出ているということは、このツボと関連したところに問題があり、こうした症状、病気、体質が考えられる、というように考えることができます。つまりツボが診断のヒントになります。さらにはツボの表情というか状態からその患者さんの生活なり生き方なり人生なりを想像することも可能かもしれません。

また、こうしたツボに鍼や灸を施すことで、それらの刺激が、ツボとつながっている問題のあるところ、関連したところに作用します。また神経を介して脳へも刺激が伝わるので、結果として身体全体に作用すると考えられます。つまりツボが治療場所となり、そこを治療することで、失調を回復させ、恒常性を維持、均衡を保つのを手助けします。

このようにツボは、診断および治療する上で重要なものです。

しかしながら、このツボと問題が生じているところとがつながっていて、そのツボに刺激を加えることで、問題が生じているところに作用し、症状、病気がよくなる、ということを大前提として鍼灸治療は成り立っていますが、この大前提、とくに四肢のツボがなぜ遠隔に効くのかについては経験則によるところが大きく、残念ながらちゃんとしたことはわかっておりません(いろいろ理屈つけることは可能ですが、なぜこのツボがそれに効くのか、ほかのツボではダメなのかは明確でない。鍼灸というより、人体のことがわかっていない)。
また失調を回復させると言っても限界があり、何でも治せるものでは決してありません。実際やってみないとわからない、というのが本当のところです。

それでもこの経験則に則ってやってみて、実際に効果があるのも事実です。施術して、局所の硬いのが柔らかくなったり、痛みが和らぐのはもちろんですが、お腹がゴロゴロと鳴ったり、げっぷが出たり、呼吸が大きくなったり、うっすら汗をかいたり、施術前に用を足したのに、施術後また行ったりなど、身体全体に影響していることがわかります。
確かにメカニズムがわかっていないところがありますが、安全性を確保、危険がないようにするのであれば、やる価値はあると思っています。人体の不思議さを感じることができ、やっていて非常に面白いものでもあります。

次回は、この続きで、ツボの反応にはどのようなものがあるのか、鍼灸治療の前提としてある、どのツボがどこと関連しているかの経験則などについて書こうと思っています。お読みになっている方が果たしているのか、いるとしてどんな人なのか全くわかりませんが、よろしくお願いします。

参考文献
1)真柳誠『黄帝医籍研究』p430, 汲古書院, 2014

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